
前の記事では、城下町や宿場町、港町など、近世以前の日本の町がどのように生まれたのかを紹介しました。

しかし、現在の日本の都市は、昔からある町だけでできているわけではありません。明治時代以降、鉄道や工業の発達、人口の増加などによって、新しい市街地が次々につくられていきました。開拓都市、住宅地、田園都市、震災復興都市、ニュータウン、工業団地など、その形はさまざまです。今回は、近代以降の都市がどのようにつくられてきたのかを見ていきましょう。
近代になると都市はどう変わった?
明治時代、日本の都市が大きく変わる
明治時代になると、日本の社会は大きく変化しました。江戸時代までの城下町や宿場町などはそのまま残りながら、鉄道が整備され、工場が増え、都市に住む人も次第に増えていきました。
こうした変化によって、昔からある町だけでは増えていく人口を受け入れられなくなり、それまで農地だった場所などにも新しい市街地が広がるようになります。
たとえば、城下町では城や武家地などを中心とした昔の市街地の周囲に、新しい住宅地や商業地が広がっていきました。また、鉄道の駅ができると、その周辺に商店や住宅が集まり、新しい市街地が生まれることもありました。
つまり、現在の日本の都市は、昔から続く町をそのまま残しているだけではなく、異なる時代につくられた市街地が少しずつ加わってできたものなのです。
町の外側に新しい市街地をつくる
都市が大きくなるにつれて、これまで農地として使われていた土地も住宅地などへ変わっていきました。
しかし、農地をそのまま住宅地に変えると、道路が十分になかったり、土地の形が住宅を建てるのに適していなかったりします。
そこで、道路をつくり、土地の形を整理してから市街地として利用する方法が考えられるようになりました。
北海道の開拓では、まだ市街地になっていない土地に道路を計画して町をつくることも行われました。また、都市周辺の農地では、土地や道路を整理する耕地整理や土地区画整理が行われ、新しい住宅地などが形成されていきました。
このように、近代になると「人が集まった結果として町ができる」だけでなく、「これから人が住む場所を先に計画して町をつくる」という方法が広がっていきます。
「先に計画する」都市へ
近代の都市計画で重要なのは、道路だけを考えるようになったことではありません。
街区、道路、宅地、公園などをあらかじめ計画し、それぞれを組み合わせながら市街地をつくるという考え方が発達しました。
さらに、住宅地と工場などをできるだけ分けるなど、「どこに何を配置するか」を考えることも重要になっていきます。
こうして日本の都市は、昔から続く町を引き継ぎながら、その周囲に新しい市街地を計画的に加えていくようになりました。
次の章では、開拓都市、耕地整理・区画整理、田園都市、震災復興、戦災復興、ニュータウン、工業団地などを取り上げ、近代以降の都市がどのような考え方でつくられていったのかを見ていきます。
近代以降につくられた都市の形
近代になると、日本ではそれまでの町とは少し違った方法で、新しい市街地がつくられるようになりました。
ここでは、その代表的なものを紹介します。それぞれ目的は違いますが、共通しているのは、道路や土地の使い方などをある程度考えてから、市街地をつくっていったことです。
開拓都市――何もない場所に計画的な町をつくる

明治時代になると、北海道の開拓が本格的に進められました。そこでは、すでに大きな町ができている場所を広げるだけでなく、まだ市街地になっていない土地に新しい町をつくる必要がありました。
そのため、道路を先に計画し、その道路によって土地を区切りながら市街地を形成する方法がとられました。
代表的なのが札幌です。札幌では東西・南北に道路を通すことで、規則正しい街区をつくる計画が行われました。旭川や帯広などにも、道路を格子状に配置した市街地がつくられています。
このような開拓都市では、一部の城下町のように「すでにある町を少しずつ広げる」のではなく、これから人が住む場所に、あらかじめ街の形を描くことが大きな特徴です。
耕地整理・区画整理――農地を新しい市街地へ変える


都市に住む人が増えると、それまで農地だった場所にも住宅や工場などが建つようになります。
しかし、農地には住宅地として使うには不便な土地や、道路に面していない土地が存在することがあります。そのままでは、まとまった市街地をつくることが難しくなります。
そこで、土地の形を整理し、道路を通して、利用しやすい土地へつくり直す方法が広がりました。これが耕地整理や土地区画整理です。
最初は農業をしやすくすることが大きな目的でしたが、都市周辺では次第に、住宅地などの新しい市街地をつくるためにも利用されるようになります。
つまり、これらは「農地を整理する方法」であると同時に、都市の外側へ新しい市街地を広げるための仕組みにもなったのです。
田園都市――自然と住宅を組み合わせた町

都市に人や工場が集中すると、住宅が密集し、騒音や衛生などの問題も生まれました。
そこで、都市の便利さを保ちながら、自然の多い快適な住宅地をつくろうという考え方が登場します。これが田園都市です。
日本では、鉄道会社などによって郊外の住宅地が開発され、駅と住宅地を組み合わせた町がつくられました。
田園調布や常盤台などでは、直線的な道路だけでなく、曲線や放射状の道路を組み合わせ、ゆとりのある住宅地が計画されています。
田園都市の特徴は、単に住宅を郊外に移したことではありません。道路、住宅、緑地などを組み合わせて、暮らしやすい住宅地そのものを計画したことにあります。
震災復興――災害をきっかけに都市をつくり直す

1923年に発生した関東大震災では、東京や横浜などの市街地が大きな被害を受けました。
そこで、焼失した市街地を元に戻すだけではなく、災害に強い都市へつくり直そうとする復興計画が進められました。
東京では、広い道路を整備するとともに、公園や橋、河川なども整備されました。また、区画整理によって道路や土地の形を整える事業も行われています。
ここで重要なのは、災害からの復旧と都市計画が一体になったことです。
震災復興は、単に壊れた建物を建て直すのではなく、「次に同じような災害が起きても被害を小さくできる都市をつくる」という考え方を広げるきっかけになりました。

戦災復興――焼けた市街地を新しい都市へ

第二次世界大戦では、東京や大阪をはじめ、多くの都市が空襲によって大きな被害を受けました。
戦後になると、これらの都市を再建するために戦災復興都市計画が進められます。
戦災復興では、焼けた建物を元の場所に建て直すだけではなく、道路や街区を整理し、都市全体を新しくつくり直すことが目指されました。
特に重要だったのが道路です。広い幹線道路を整備し、交通だけでなく、防災や避難のための空間としても利用できるようにしました。
ただし、計画された内容がすべて実現したわけではありません。財政上の問題などから、当初の計画より規模を縮小して整備された都市もあります。
それでも戦災復興は、大規模な都市改造を全国各地で行う機会となり、その後の都市の形に大きな影響を与えました。

ニュータウン――大勢の人が住む新しい町

戦後、日本では経済が成長し、大都市に多くの人が集まるようになりました。その結果、住宅不足が大きな問題になります。
そこで、大都市の郊外などに、住宅をまとめて建設する新しい町がつくられました。これがニュータウンです。
ニュータウンは、住宅だけを建てるのではありません。学校、商店、公園、道路など、生活に必要な施設をまとめて計画することが特徴です。
千里ニュータウン、多摩ニュータウン、港北ニュータウンなどが代表的な例です。
また、ニュータウンでは、自動車が走る道路と歩行者の道を分けたり、公園や緑道を住宅地の中に配置したりするなど、従来の市街地とは異なる考え方も取り入れられました。
つまりニュータウンは、「住宅をたくさん建てる場所」ではなく、「生活に必要なものをまとめて計画した新しい町」だったのです。
工業団地――工場のための新しい町

戦後の経済成長によって、工場も大きく発展しました。
しかし、大規模な工場を住宅地の中に建設すると、交通、騒音、排水などの問題が生じます。そこで、工場を計画的に集めるための工業団地がつくられるようになりました。
工業団地では、工場を建てるための土地だけでなく、工場へ材料や製品を運ぶ道路、工業用水、排水施設などもまとめて整備します。
そのため、住宅地に比べると大きな土地を使い、広い道路を配置することが多くなります。
戦前にも工場を集めたり、住宅と工場を分けたりする考え方はありましたが、工業団地が本格的に広がるのは戦後、とくに1950年代以降です。
工業団地は、「工場が集まった場所」ではなく、工場を動かすために必要な道路やインフラまで含めて計画された市街地と考えると分かりやすいでしょう。
いろいろな都市づくりを比べてみよう
ここまで見てきた都市づくりには、それぞれ異なる目的があります。
| 都市づくり | 主な目的 | 街の特徴 |
|---|---|---|
| 開拓都市 | 新しい土地に町をつくる | 計画的な格子状の市街地 |
| 耕地整理・区画整理 | 土地を整理して市街地をつくる | 道路と土地を計画的に整える |
| 田園都市 | 快適な住宅地をつくる | 緑地や曲線道路などを取り入れる |
| 震災復興 | 災害に強い都市をつくる | 広い道路・公園などを整備 |
| 戦災復興 | 焼失した都市を再建する | 道路・街区を大規模に再編 |
| ニュータウン | 大量の住宅を計画的につくる | 住宅・学校・公園などを一体的に整備 |
| 工業団地 | 工場を計画的に集める | 大きな敷地と道路・物流施設 |
こうして比べてみると、近代以降の都市づくりには、「必要になったものを後から付け足す」のではなく、目的に合わせて街の形を先に考えるという共通点が見えてきます。
もちろん、実際の都市はこのどれか一つだけでできているわけではありません。昔からある城下町や宿場町の外側に、区画整理による住宅地が広がり、そのさらに外側にニュータウンや工業団地がつくられることもあります。
現在の日本の都市は、こうした異なる時代・異なる考え方でつくられた市街地が重なってできているのです。
今の日本の都市はどうやってできた?
昔の町と新しい市街地が重なっている
ここまで見てきたように、日本の都市は一度に完成したものではありません。
城下町や宿場町など、近世以前から続く町を土台として、その周囲に明治時代以降の新しい市街地が広がっていきました。さらに戦後になると、人口の増加に対応するための住宅地やニュータウンがつくられ、工場を集めた工業団地なども整備されました。
そのため、現在の都市を地図で見ると、場所によって街の形が大きく違うことがあります。
昔からの中心市街地では、道路が曲がっていたり、細かな土地の区切りが残っていたりします。一方、その外側には、道路がまっすぐに通り、規則正しく土地が区切られた住宅地が広がっていることがあります。
さらに郊外へ行くと、ニュータウンや工業団地など、より大きな単位で計画された市街地が現れることもあります。
つまり、現在の日本の都市は、さまざまな時代につくられた街が重なってできているのです。
「町ができてから整える」だけではない
近世以前の町では、人が集まる場所ができ、そこから少しずつ町が広がっていくという場合が多くありました。
しかし近代以降になると、これとは別に、「これから人が住む場所を先に計画する」という方法が広がっていきます。
開拓都市では、まだ大きな町になっていない土地に道路を計画しました。耕地整理や区画整理では、農地を整理して道路や宅地をつくりました。田園都市では、住宅と緑地を組み合わせた住宅地が計画されました。
さらに戦後のニュータウンでは、住宅だけでなく、学校、公園、商業施設、道路などをまとめて計画しています。
このように、近代以降の都市計画は、「町ができた後に問題を解決する」だけでなく、「どのような町にするかを先に考える」方向へ発展していったのです。
街の形から歴史を考えてみよう
現在の街を歩くときは、建物だけでなく、道路や土地の形にも注目してみましょう。
「なぜこの道路だけ曲がっているのだろう?」
「なぜ駅の周辺だけ街の形が違うのだろう?」
「なぜこの場所には大きな公園があるのだろう?」
そんな疑問から、その街がどの時代に、どのような目的でつくられたのかを考えることができます。
そして、こうした街の形をマイクラで再現するときにも、単に建物を並べるのではなく、「なぜこの場所に、この道路や街区があるのか」を考えてみると、より説得力のある都市をつくることができます。
実際の日本の都市に見られる街区や街路が、どのくらいの大きさでつくられてきたのかについては、別の記事で詳しく紹介しています。

まとめ
日本の都市は、城下町や宿場町などの昔の町を土台にしながら、明治以降の開拓都市や住宅地、さらに戦災復興やニュータウン、工業団地などが加わって現在の姿になりました。時代が変わるにつれて、町のつくられ方も変化しています。街を歩いたり地図を見たりするときは、「いつ、なぜ、この街がつくられたのか」と考えてみましょう。街の形を知ることは、都市の歴史を知ることにもつながります。
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