
近世以前の日本の都市と聞くと、京都や鎌倉のような有名な歴史都市を思い浮かべるかもしれません。しかし、日本にはそれ以外にも、昔から人が集まり、町として発展してきた場所がたくさんあります。城のまわり、街道沿い、港、寺社の周辺など、町が生まれたきっかけはさまざまです。こうした違いを知ると、普段何気なく歩いている街の景色も、少し違って見えてくるかもしれません。この記事では、日本の町がどのように生まれ、どんな特徴を持つのかをやさしく紹介します。
日本の都市はどうやって生まれた?
日本には昔からたくさんの町があった
現在の日本には、東京や大阪のような大都市だけでなく、全国各地にたくさんの都市があります。その中には、明治時代や昭和時代になってから新しくつくられた都市もあれば、それよりずっと前から町として発展してきた場所もあります。
昔の日本では、今のようにどこにでも自由に家を建てて町をつくっていたわけではありません。人が集まるには、それぞれ理由がありました。
たとえば、大名がお城をつくれば、その周囲には武士や商人、職人などが集まります。人や荷物が行き交う街道があれば、旅人が休んだり泊まったりする場所が必要になります。船が集まる港では、荷物を売り買いする人や、それを運ぶ人が集まってきます。
このように、町は人が集まる理由のある場所に少しずつ発展していったのです。
町ができるきっかけ
昔の町が生まれるきっかけには、いくつかの代表的なものがあります。
まず、政治の中心として計画的につくられた町があります。奈良や京都のような都市がその代表です。
次に、お城を中心として発展した町があります。大名や武士だけでなく、商人や職人なども集まり、城の周囲に大きな町が形成されました。
街道も重要でした。人や物が移動する道の途中には、旅人が休憩したり宿泊したりする場所が生まれます。
また、海や川も人を集めました。船による交易が盛んな場所には商人や荷物が集まり、港を中心とした町が発展しました。
さらに、神社や寺に多くの人が訪れる場所では、参拝客を相手にした店や宿が集まり、町へと成長することもありました。
このように考えると、都市は「そこに人が集まる理由」が形になったものともいえます。
町ができた理由は街の形にも表れる
町ができた理由が違えば、街の形も変わります。
お城を中心に町がつくられれば、城との位置関係を考えた道路や、武士・商人などが住む区域がつくられます。一方、街道沿いに発達した町では、道に沿って建物が並び、細長い形になりやすくなります。
港町では、港と町を結ぶ道が重要になります。寺社を中心とした町では、参道が街の中心的な道になることもあります。
昔の街を歩いたり地図を見たりするときには、「なぜ、ここに町ができたのだろう?」と考えてみることが大切です。
その理由を考えることで、道路の向きや町の広がり方など、普段は気づかない街の特徴が見えてきます。
次の章では、こうした町をいくつかのタイプに分けて、実際にどのような都市が日本各地に生まれたのかを見ていきましょう。
日本の代表的な町の形
日本の町には、さまざまな生まれ方があります。ここでは、その中でも日本各地で見ることのできる代表的な町を紹介します。
「城下町」や「宿場町」という言葉だけを見ると難しく感じるかもしれません。しかし、それぞれの町が「なぜそこに人が集まったのか」を考えてみると、その違いは意外と簡単に理解できます。
都――政治の中心につくられた都市

昔の日本では、政治を行う場所を中心として、大きな都市がつくられました。
その代表が奈良や京都です。特に京都は、政治の中心となる場所を計画的につくり、その周囲に道路や住宅などを配置していきました。
京都では、南北・東西に道路を通して、街を四角い区画に分ける形が基本となりました。このような道路が規則正しく交わる街を格子状の都市といいます。
ただし、すべての都が同じ形だったわけではありません。地形や時代によって変化し、実際の街並みには曲がった道なども見られます。
都の特徴は、自然に家が集まってできた町というより、政治の中心として、ある程度計画してつくられた都市だったことです。
現在でも京都などを歩くと、東西・南北に走る道路と、それによって区切られた街区を見ることができます。
城下町――お城を中心につくられた町

日本の歴史的な都市を考えるうえで、特に重要なのが城下町です。
大名がお城をつくると、その周囲には家臣である武士が住み、さらに商人や職人なども集まってきます。こうして、お城を中心として大きな町が発展しました。
このような町を城下町といいます。
城下町では、お城の周囲に武士の住む場所、その外側に商人や職人の住む場所を配置するなど、住む人の種類によって場所を分けることがありました。また、寺や神社がまとまって配置される場合もあります。
街路も、単純な格子状とは限りません。敵が城まで簡単にたどり着けないように道を曲げたり、交差点をずらしたり、道を複雑にしたりすることもありました。
そのため、城下町には「お城を中心にして、さまざまな場所を組み合わせた独特の街の形」が生まれました。
金沢、仙台、松本、熊本など、現在の地方都市の中心部にも、城下町としてつくられた街の形が残っています。
現在の都市の中心市街地を歩いてみると、道路の曲がり方や地名、城跡などから、昔の城下町の姿を想像できることがあります。
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宿場町――街道沿いに発達した町

昔の人々は、現在のように電車や自動車を使って自由に移動できたわけではありません。多くの人が街道を歩いたり、馬や籠を利用したりしていました。
そこで、長い旅をする人が休んだり、泊まったり、食事をしたりする場所が必要になりました。
街道沿いにこうした施設や店が集まって発達した町が宿場町です。
宿場町では、町の中心を街道が一本通り、その道に沿って家や店が並ぶ形がよく見られます。そのため、街道に沿って細長く伸びた町になりやすいことが特徴です。
もちろん、すべての宿場町が同じ形だったわけではありません。川を渡る場所や峠のふもとなど、地形によって町の形は変化しました。
東海道、中山道、日光街道など、日本各地の街道沿いには多くの宿場町がつくられました。
宿場町を見るときには、「この道を昔の人が移動していた」と考えると、街の形が分かりやすくなります。
港町――船と商売から発達した町

海や大きな川も、町が生まれる重要な場所でした。
昔から船は、大量の荷物を遠くまで運ぶために利用されてきました。船が集まる場所には、荷物を積んだり下ろしたりする人、商品を売買する商人、船を扱う人などが集まります。
こうして港を中心に発達した町が港町です。
港町では、港と市街地を結ぶ道が重要になります。港で荷物を受け取った後、それを町の中へ運ぶ必要があるためです。
そのため、港町では港・道路・商業地が近い関係でつくられることが多くなります。
また、海岸線や川の形に合わせて町が広がるため、格子状の町だけでなく海や川に沿って細長く伸びる町もあります。
長崎、尾道、堺などは、港を利用した交易によって発展した代表的な都市です。
港町を見るときには、「どこから船が入り、荷物がどこへ運ばれたのか」を考えると、道路や街の形が理解しやすくなります。
門前町――寺や神社を訪れる人から発達した町

昔から、日本では多くの人が寺や神社を訪れてきました。
特に有名な寺社には遠くからも多くの人が訪れるため、その周囲には店や宿、食事をする場所などが集まります。
こうして寺や神社を訪れる人を中心に発達した町を門前町といいます。
門前町では、寺社へ向かう道である参道が町の中心的な道路になることがあります。参道の両側に店が並び、その周囲へ町が広がっていくという形です。
そのため、門前町では「中心に大きな寺社があり、そこへ向かう道に沿って町が発達する」という構造を見ることができます。長野の善光寺周辺などは、その代表的な例です。
門前町を見るときには、「人々はどこを目指して歩いていたのか」を考えると、町の形が見えてきます。
寺内町――寺院を中心にまとまった町

門前町と似ていますが、少し違った町もあります。
寺院を中心として、そこに暮らす人々や商人などが集まり、町そのものが寺院と強く結びついて発展したものです。こうした町を寺内町と呼びます。
寺内町では、寺院が町の中心的な存在となります。また、戦国時代には争いから町を守るため、周囲に堀や土塁などを設けることもありました。
そのため、寺内町の中には、単なる寺の周辺の商店街とは違い、ひとまとまりの町としてつくられたものがあります。
大阪の寺内町や、現在の大阪府富田林市に残る寺内町などが代表的な例です。
門前町が「寺社を訪れる人によって発展した町」だとすれば、寺内町は「寺院とそこに集まった人々によって形成された町」と考えると分かりやすいでしょう。
在郷町――農村と町をつなぐ場所

これまで紹介した町ほど有名ではありませんが、昔の日本には、農村と都市をつなぐ役割を持った町もたくさんありました。
農村では米や野菜、木材などさまざまなものが生産されます。しかし、それらを農村だけで売買することはできません。
そこで、周囲の村から人や物が集まり、商品を売ったり買ったりする場所が発達しました。
こうした町を在郷町といいます。
在郷町では、周囲の農村から人や商品が集まるため、周辺地域へ向かう道路が町の中心となることがあります。
城下町のように大きな城があるわけでも、宿場町のように主要街道の宿泊施設が中心になるわけでもありません。しかし、地域の中で商品を売買したり、情報を交換したりする場所として重要な役割を持っていました。
現在の地方都市の中には、このように周囲の農村との結びつきをもとに発展した町を起源とするものもあります。
いろいろな町を比べてみよう
ここまで紹介した町を比べると、それぞれに「人が集まる理由」があったことが分かります。
| 町のタイプ | 町ができたきっかけ | 街の形の特徴 |
|---|---|---|
| 都 | 政治・行政 | 計画的な格子状など |
| 城下町 | 城・政治 | 城を中心に複雑な街路 |
| 宿場町 | 街道・交通 | 街道に沿って細長く発達 |
| 港町 | 港・交易 | 港と市街地が結びつく |
| 門前町 | 寺社・参拝 | 参道を中心に発達 |
| 寺内町 | 寺院・信仰 | 寺院を中心にまとまる |
| 在郷町 | 農村との交易 | 周辺地域との道路を軸に発達 |
ただし、実際の都市が必ず一つのタイプだけに当てはまるとは限りません。
たとえば、城下町でありながら港町としても発展した都市や、街道と港の両方を利用して発展した都市もあります。
大切なのは、「この町は何型なのか」を厳密に分類することではありません。
「なぜ人がここに集まり、その結果としてどんな街ができたのか」と考えることです。
そうすると、現在の街を見たときにも、道路の向きや町の広がり方から、その街が歩んできた歴史を想像できるようになります。
今の日本の街にも残る「昔の町」
昔の町は今も残っている
ここまで紹介したような昔の町は、歴史の教科書の中だけに存在するものではありません。現在の日本の都市にも、その名残がたくさん残っています。
たとえば、城下町では城跡や堀だけでなく、道路の曲がり方や町の区画、地名などに昔の姿を見ることができます。宿場町では、かつての街道が現在の道路として使われていることもあります。港町では、港と市街地を結ぶ道や、古くからの商業地が現在まで残っている場合があります。
寺社の周辺に商店街が広がっていれば、そこがかつての門前町だった可能性もあります。
つまり、現在の街を見ているだけでも、「この町は昔、どのようにして生まれたのだろう?」と考えることができます。
なぜ昔の街の形が残るの?
では、なぜ何百年も前につくられた道路や土地の形が、現在まで残っているのでしょうか。
その理由の一つは、道路や土地の区切りを一度つくると、簡単には変えられないからです。
道路を付け替えたり、たくさんの土地をまとめて新しい街にしたりするには、多くのお金と時間が必要です。そのため、古くから使われてきた道路や土地の境界が、そのまま現在の都市に引き継がれることがあります。
もちろん、時代によって道路が広げられたり、新しい建物が建てられたりするため、昔の街がそのまま残っているわけではありません。
それでも、街の「骨格」ともいえる道路や土地の形には、過去の都市の姿が残り続けています。
近代になると、新しい町がつくられる
一方、明治時代以降になると、日本の都市はさらに大きく変化します。鉄道が開通し、工場が増え、人口が増加すると、これまでの町の外側にも新しい市街地が広がっていきました。
北海道では開拓にともなって計画的な都市がつくられ、都市の周辺では農地を整理して住宅地をつくる動きも進みました。その後、田園都市、震災復興都市、工業団地、ニュータウンなど、道路や街区を計画して新しい市街地をつくる方法も発展していきます。
このように、日本の都市は、昔から続く町の上に新しい市街地が重なりながら現在の姿になっています。
昔の町の「生まれ方」を知ることは、現在の都市がなぜこのような形をしているのかを考える手がかりにもなります。
そして、こうした歴史的な町や近代以降の計画都市が、実際にどのような街区や街路によってつくられているのかについては、別の記事で詳しく紹介しています。

まとめ
日本の町には、政治、城、街道、港、寺社、農村との交易など、それぞれ異なる生まれた理由があります。そして、その理由が道路の向きや町の広がり方にも表れています。現在の都市にも、こうした昔の町の名残は数多く残っています。街を歩くときは、建物だけでなく「なぜここに町ができたのか」と考えてみると、いつもの景色が少し違って見えてきます。さらに近代以降には、新たな都市計画によって市街地が広がっていきました。
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