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マイクラで街づくりをする方法|町割編

マイクラ 都市計画 設計 町割

日本の町には、まっすぐな道路が並ぶものもあれば、曲がった道や不規則な街区が残るものもあります。こうした町の形は、偶然できたものばかりではありません。

町をつくる人々は、城を守る、商売をしやすくする、人や物を運びやすくするなど、「こんな町にしたい」という目的を持っていました。一方で、山や川、昔からある道や集落など、思い通りに変えられないものもあります。さらに、当時は問題にならなかったことが、後になって都市の課題になることもあります。

では、日本の町はどのような考えでつくられ、何に悩み、どのような結果になったのでしょうか。町をつくる側の目線から、古代から現代までの町割を見ていきましょう。

町割とは?

町割とは、道路などを通し、その道路に囲まれた街区やその中の土地を組み合わせ、町の基本的な形をつくることです。どこに道路を通すのか、どこに人や店を集めるのか、どこに住宅や公共施設を置くのか。こうしたことを考えながら、町の形はつくられていきます。

ただ、町をつくる人が何もない場所に自由に線を引けるとは限りません。山や川、海などの地形があり、昔から使われてきた道路や水路、寺社、集落などがすでに存在することもあります。土地を使う人がいる以上、すべてを壊して新しくつくることも簡単ではありません。

そのため、町割では「どんな町にしたいのか」「この土地で何ができるのか」を一緒に考える必要があります。

例えば城下町なら城を守ること、宿場町なら街道を通る人や荷物を受け入れること、港町なら港と町をつなぐことなどが大切になります。近代以降になると、鉄道や自動車、防災、住宅なども町の形を決める大きな要素になりました。

つまり町割とは、目的と土地の条件を考えながら、道路や土地、ひいては都市の形を決めていくこと、つまり都市設計手法であるともいえます。

マイクラで街づくりをする方法|都市設計編
マイクラで街づくりをするとき、建物だけでなく都市全体を考えてみませんか?道路・街区・建物などの関係から、都市設計の基本的な考え方を分かりやすく紹介します。

では、日本では実際にどのような町割が行われ、町をつくる人々は何を大切にしてきたのでしょうか。次の章から、時代ごとの都市を見ながら考えてみましょう。

町はどのようにつくられてきたのか

日本の町割は、最初から現在のような形をしていたわけではありません。時代が変わるにつれて、町に求められる役割や、人々の暮らし方も変わってきました。それに合わせて、町をつくる方法も変わります。

ここでは、古代から現代までの代表的な町を見ながら、「どのような町がつくられたのか」を大まかにたどってみましょう。

古代の都

出典:地理院地図Vector

古代の日本では、大規模な都市が計画的につくられることがありました。その代表が平城京や平安京です。

これらの都では、道路を規則正しく並べ、その道路によって土地を四角く区切りました。政治を行う場所を中心に置き、都市全体をあらかじめ計画することで、広い範囲を一つの都としてまとめています。現在の地図で見ると、道路が縦横に並ぶ格子状の形が特徴です。

これは、それまで自然に広がっていたムラや集落とは大きく異なる町のつくり方でした。「先に町の形を考え、その中に人や施設を配置する」という考え方が、ここではっきりと表れています。

ただし、計画したからといって、町全体が同じように使われるとは限りません。平安京では、計画された都市の中でも、人が多く集まる場所と、あまり使われない場所が生まれました。西部では市街地としての利用が十分に進まず、次第に衰退していったと考えられています。

つまり、地図の上で大きな都市をつくることと、実際に人が住み、商売をし、町が動くことは別の問題でした。

中世の町場

出典:地理院地図Vector

古代の都のように、町全体を最初から計画するだけでなく、中世になるとさまざまな場所を中心として町が発達していきます。

例えば、市場には商品を売る人や買う人が集まります。寺社には参詣する人が集まり、港には船や荷物が集まります。街道沿いにも、人や物が行き交うことで店や家が増えていきます。

こうした町では、人が集まる場所と、それらを結ぶ道が町の形をつくることになります。

そのため、必ずしも最初から町全体がきれいに計画されているとは限りません。人々が必要とする場所に道ができ、その道に沿って家や店が増え、さらに新しい道がつくられるというように、時間をかけて町が広がっていくこともありました。

ここでは、古代の都のような「先に全体を決める町割」とは違い、人々の活動によって少しずつ形ができていく町を見ることができます。

城下町

出典:地理院地図Vector

戦国時代から江戸時代にかけては、全国各地に城下町がつくられました。

城下町では、まず城が大きな中心になります。その周囲に武士の住む場所を置き、さらに商人や職人の町、寺社などを配置していきます。

道路も、単に最短距離でつなぐのではありません。城を守るために道路を曲げたり、道の先が簡単に見通せないようにしたりすることがあります。

一方で、町では人や物が動かなければなりません。商人が店を開き、街道を人や荷物が通り、橋を渡って川の向こう側へ移動する必要があります。

そのため城下町では、「城を守ること」「町を使いやすくすること」の両方が求められました。

さらに、城下町は山や川などの近くにつくられることが多く、土地の形を無視することはできませんでした。川を堀として利用したり、水路を町の中に引いたり、地形に合わせて道路を通したりすることで、それぞれの城下町に違った形が生まれました。

宿場町

出典:地理院地図Vector

城下町と同じ近世の町でも、宿場町では町の中心となるものが違います。

宿場町では、街道を通る人や荷物を受け入れることが大切でした。そのため、街道に沿って旅館や店、住宅などが並び、町が細長く伸びる形になることがあります。

ここでは、街道そのものが町の骨格です。しかし、街道はどこにでも通せるわけではありません。山があれば峠を越え、川があれば橋を渡る必要があります。安全に通れる場所も限られます。

つまり宿場町では、「人や物を動かしたい」という目的と、「道を通せる場所は限られている」という土地の条件が重なって、町の形が決まっていきました。

港町

出典:地理院地図Vector

港町では、海や川にある港と、その周囲の町とのつながりが重要になります。船で運ばれてきた荷物を倉庫や商店へ運び、そこから街道や別の港へ送り出す必要があるからです。

そのため、港と町を結ぶ道や、水運を利用するための水路などが町の形に影響します。

一方で、港の位置は海岸線や川の流れによって決まります。港そのものを好きな場所につくることはできません。

港町もまた、「こうしたい」という目的だけではなく、海や川という条件を見ながら町をつくる必要があったのです。

近代都市

出典:地理院地図Vector

明治時代になると、日本の都市には新しい交通手段や施設が加わります。その代表が鉄道です。

駅ができると、その周囲に人や店が集まり、新しい市街地が生まれます。ところが、駅をつくる場所にはすでに町があったり、昔からの道路があったりします。

そのため、新しい駅や道路だけで都市をつくり直すのではなく、昔からある町の上に新しい都市を重ねていくことになります。

また、都市の人口が増えると、農地などを整理して新しい住宅地をつくる必要も生まれました。耕地整理や土地区画整理によって道路や土地を計画的に整え、その周囲に住宅が建つような市街地も広がっていきます。

このころから、都市を「自然に大きくなるもの」として見るだけでなく、将来の人口や交通を考えて、先に土地や道路を整えるという考え方が強くなっていきました。

戦後都市

出典:地理院地図Vector

第二次世界大戦後になると、戦災からの復興と人口増加への対応が大きな課題になります。

戦災を受けた都市では、復興の機会に道路や街区をつくり直し、広い道路や公園などを整える計画が進められました。

さらに、高度経済成長によって都市の人口が急増すると、郊外には大規模な住宅地やニュータウンがつくられます。工場についても、都市の外側などにまとまった土地を用意し、道路や水道などを整えた工業団地がつくられるようになりました。

ここでは、城や街道、港など一つの場所を中心に町をつくるというより、住宅、商業、工業、交通など、それぞれの役割を考えて都市全体を組み立てることが重要になります。


こうして見ると、日本の町割は、時代とともに大きく変化してきたことが分かります。

時代・都市町のつくられ方町の中心となるもの
古代の都道路を計画的に並べ、広い範囲を区切る政治の中心
中世の町市場・寺社・港などを中心に町が広がる市場・寺社・港など
城下町城を中心に武家地・町人地などを配置
宿場町街道に沿って家や店が並ぶ街道
港町港と町場を道路や水路で結ぶ
近代都市鉄道・道路・区画整理などによって市街地を拡大駅・中心市街地など
戦後都市都市施設・住宅・工業などを計画的に配置複数の都市機能

古代には、広い都を先に計画してつくる方法がありました。中世には、市場や寺社、港など、人が集まる場所から町が広がりました。近世には、城下町や宿場町、港町など、それぞれの役割に合わせた町がつくられます。そして近代以降は、鉄道や自動車、人口増加、防災など、新しい課題に対応するため、より大きな範囲を計画するようになりました。

しかし、どの時代の町にも共通することがあります。

それは、町をつくる人が、その町に必要なものを考えながら、土地の形やすでにある道、川、集落などと調整していたことです。

ちなみに、これまでに紹介した町以外にも、日本ではいろいろな種類の都市が生まれました。より詳しく知りたい方はこちらをご覧ください。

日本の町はどうやって生まれた?|城下町・宿場町・港町などの成り立ち
マイクラで街づくりをする前に、日本の都市がどのように生まれたのかを知ってみませんか?城下町、宿場町、港町、門前町など、都市の成り立ちや種類をやさしく紹介。街づくりのアイデアにもつながります。

では、具体的に町をつくる人は、どのようなことを考えていたのでしょうか。次の章では、これまで見てきた町を手がかりに、町割を考えるときに大切になることを整理してみます。

町をつくる人は何を考えたのか

前章では、古代から現代まで、日本ではさまざまな方法で町がつくられてきたことを見てきました。同じ町割でも、時代や町の役割が違えば道路や街区のつくり方も変わります。

では、実際に町をつくる人は、何を考えていたのでしょうか。町割を考えるときに大切なのは、「この町で何をしたいのか」ということです。政治の中心をつくりたいのか、人や物を集めたいのか、安全な町をつくりたいのか。それぞれの目的によって、必要な道路や土地の使い方も変わってきます。

都市の中心をどこに置くか

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まず重要なのが、町の中心をどこに置くかです。

古代の都なら、政治を行う場所が中心になります。城下町なら城、門前町なら寺社、港町なら港などが町の重要な場所になります。近代以降は駅や役所、商業施設などが新しい中心になることもあります。

中心が決まると、そこへ向かう道路や、中心から周囲へ伸びる道路が必要になります。寺社へ向かう道がまっすぐ伸びていたり、港と町の中心を結ぶ道があったりするのは、その一例です。

ただし、中心は必ず一つとは限りません。昔からの町の中心に加えて、駅前に新しい中心ができることもあります。都市が大きくなると、古い中心と新しい中心が並んで存在することもあります。

人や物をどう動かすか

次に考えたいのが、人や物の動きです。

宿場町なら街道を通る人や荷物、港町なら船から陸へ運ばれる荷物、城下町なら城下を行き来する人々の流れを考える必要があります。

近代になると鉄道や自動車が登場し、駅や幹線道路が新しい人や物の流れをつくりました。工業地では工場へ原料を運び、製品を外へ運び出すための道路や鉄道が重要になります。

つまり道路は、単に「きれいに並べる」ためにつくるものではありません。誰が、どこからどこへ移動するのかを考えることで、必要な道路の位置やつながりが決まっていきます。

安全や防御をどう考えるか

町を守ることも、昔から重要なテーマでした。

城下町では敵が城へ簡単に近づけないよう、道路を曲げたり、道の先を見通しにくくしたりする工夫が見られます。一方で、火災が大きな問題となった都市では、火が広がりにくくするために道路や空地を設けることも重要でした。

戦後の都市では、こうした考え方がさらに大きくなり、広い道路や公園などを使って、災害に強い都市をつくることが目指されました。

ここで面白いのは、「安全な町をつくりたい」という目的が、道路の形そのものを変えてしまうことです。

水や地形をどう使うか

都市をつくるうえでは、地形や水も無視できません。

山があれば道路を通しにくく、川があれば橋が必要になります。一方で、川や水路は町に水を供給したり、農地をうるおしたり、荷物を運んだりするために利用することもできます。

特に城下町では、川や水路を単なる障害物としてではなく、防御や水利、生活用水などに利用できるものとして考えることがありました。

そのため、地形に逆らって町をつくるのではなく、地形を読み、その特徴を利用することで町の形が決まる場合があります。

町をきれいに見せる

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都市には、実用性だけではなく、「どのように見えるか」という考えもあります。

古代の都では、政治の中心としてふさわしい整った都市をつくることが重要でした。城下町でも、城へ続く道や町の入口など、都市の印象を意識することがあります。

つまり、町割には「使いやすいか」「安全か」だけでなく、「その町らしく見えるか」「人にどう感じてもらうか」という考えも含まれていたのです。

すべてを思い通りにはできない

しかし、ここまでの話を見て「では、目的に合わせて道路を引けばいい」と考えるのは少し違います。

実際の町には、山や川だけでなく、すでにある道路、寺社、集落、田畑、土地の持ち主など、簡単には動かせないものがあります。

そのため設計する側は、「こうしたい」という目的と「ここは変えられない」という条件を調整しなければなりません。

町割で考えること具体的な問い町割への影響
中心何を町の中心にする?中心へ向かう道路や施設ができる
交通人や物をどこへ動かす?街道・駅・港などを結ぶ道路ができる
水をどう使い、どこへ流す?川・水路・用水に合わせて町がつくられる
安全どうすれば町を守れる?道路・堀・空地などの配置に影響する
土地利用住宅・商業・工業をどこに置く?街区や土地の大きさ・位置が変わる
景観町をどう見せる?道路の軸や建物の向きに影響する
既存のもの昔からある道や建物をどうする?古い町割を残したり、新しい道を避けたりする
将来人口や交通が増えたらどうなる?道路や土地に余裕を持たせる

まっすぐな道路を通したくても川があれば橋を架ける必要があります。新しい道路をつくりたくても昔からの町があれば、その道路を避けたり、既存の道を利用したりすることになります。

そして、ここにはもう一つ重要な問題があります。当時は問題になるとは考えられなかったことが、後になって都市の問題になることもあるのです。

人口が予想以上に増えたり、交通手段が変わったり、経済の中心が移動したりすれば、昔は便利だった町割が使いにくくなることがあります。

逆に、その土地の地形や水の流れ、人々の生活をよく考えてつくられた町は、時代が変わっても使われ続けることがあります。

つまり、町割を考えるということは、ただ道路を引くことではありません。何を実現したいのかを考え、そのために土地や道路、水、建物などをどう組み合わせるのかを考えることです。

町割を行った後にどうなったのか

ここまで、町をつくるときには、中心や交通、水、防御、土地の使い方など、さまざまなことを考える必要があることを見てきました。

しかし、どれだけよく考えて町をつくっても、実際に人が住み、町が使われ始めると、計画した通りになるとは限りません。

古代の平安京は、そのことを考えるうえで分かりやすい例です。京では、広い範囲に道路を規則正しく通し、計画的に都市をつくりました。しかし、計画した範囲すべてに同じように人が集まったわけではありません。人口や経済活動の規模、土地の条件などによって、使われる場所と使われにくい場所が生まれました。

つまり、「大きく計画すること」と「実際に大きな町になること」は同じではないのです。

一方、城下町には、山や川などの地形を利用しながらつくられたものがあります。川を堀として利用したり、水路を町の中に引いたり、地形に合わせて道路を通したりすることで、その土地に合った町の形がつくられました。

もちろん、すべての城下町が長くそのまま残ったわけではありません。しかし、地形や水の流れ、交通などを考えてつくられた道路や水路が、後の時代にも使われることがあります。城下町が近代以降の市街地へ変わった後も、昔の道路や町の中心が残っている例は少なくありません。

この違いから分かるのは、町割は「完成したときの形」だけで評価できないということです。

その町にどれだけ人が集まるのか。どのように人や物が動くのか。水はどこから来て、どこへ流れるのか。将来、町が大きくなったときにも使えるのか。

こうしたことを十分に考えないまま町をつくると、後になって道路が足りなくなったり、使われない土地が生まれたりすることがあります。逆に、その土地の特徴や人々の活動をうまく取り込んだ町割は、時代が変わっても使われ続けることがあります。

また、日本の都市には、古い町割の上に新しい町割が重なっている場所もあります。古い街道や城下町の道路の隣に、近代になってつくられた駅や道路が加わり、さらに戦後の区画整理や住宅地が広がる、といった具合です。

そのため現在の都市を見ると、一つの計画でつくられた町ではなく、異なる時代の考え方が重なった町を見つけることができます。

まとめ

日本の町割には、さまざまな形があります。しかし、その形だけを見ても、なぜその町がそのようにつくられたのかは分かりません。

町をつくる側には、「何を中心にするか」「水や地形をどう利用するか」「安全をどう守るか」などといった目的がありました。そして、山や川、昔からの道路や集落など、思い通りに変えられないものと調整しながら町をつくっていきました。

さらに、計画した町が必ずしも思い通りに使われるとは限りません。人口や交通、産業などが変化すれば、町割の使われ方も変わります。

だからこそ都市を見るときは、「なぜこの道がここにあるのか?」と、町をつくった側に立って考えてみることが大切です。町割を読み解くことは、地図からその町が生まれた理由と、そこに暮らしてきた人々の歴史を読み解くことでもあるのです。

実際の町づくりへ

ここまでの記事では、日本の町割がどのような考え方でつくられてきたのかを見てきました。

では、実際にマイクラなどで町をつくるときには、街区や街路をどのくらいの大きさにすればよいのでしょうか。また、歴史のある町をつくるなら、どのようにして「この町は昔から続いてきた」という背景を考えればよいのでしょうか。

こうした、より具体的な町づくりの方法については、別の記事で詳しく紹介しています。

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