
こんにちは、えいらくちょうです。マイクラで「永松市」という街をつくっています。
マイクラで制作している空想都市「永松市」の開発過程を紹介するシリーズ第6回です。今回は、永松市の都市構造をよりリアルにするため、城下町としての成立から明治期、戦後を経て現在に至るまでの都市の歴史を考えました。都市がどのように発展してきたのかを設定することで、道路や駅、市街地の配置にどのような理由を持たせられるのか、実際の開発過程とともに紹介します。
前回の開発範囲
▼前回記事▼

本題に入る前に、前回の開発範囲をお見せしましょう。

2023年の前半期は、都市構造の全面的な改変を行いました。歴史的背景を考慮し、多くの日本諸都市と同じような都市施設・地区の配置を志向し、さまざまな施設の再配置を行ったのでした。
市街地北部の開発
オフィスビル・雑居ビルなどの建築


都市構造の変更により、開発すべき領域がよりはっきりしました。永松城のすぐ南側かつこれまでつくってきた桜東橋地区の北側を開発していくこととなりました。上の図で言うと、外堀よりも上のエリアにあたります。

お寺なんかもつくりました。右の建物が住職さんやその家族の住居で左奥が本堂です。
これがお寺?と違和感を覚える方もいるでしょう。確かに、お寺と言えば和風建築の代表例、大きな瓦屋根と木造の柱や梁などが特徴的です。
でも実は、上の画像のようなお寺も存在します。住職さんの意向などにより、地震に強く、見た目がモダンで火事にも強いコンクリート造の本堂を希望して建築されることがあります。
親水空間の構築


外堀に面したところに親水空間をつくりました。舗装はグレー系のブロックを敷き詰め、照明デザインも凝ってみました。橋のそばにある空間を橋詰広場と言いますが、これもそのような形態となっています。
親水をコンセプトにしたからには、水と親しめるような空間構造にしないと微妙な感じになるので、水面に向かって階段状に下るようなかたちにしました。水面を感じながら休憩するのにちょうどよさそうです。
中央通り沿いの開発
親水空間の開発地から南に移動し、中央通り沿いの建築作業も進めていきました。中央通りは永松の南北交通をさばく重要な大通りです。


大都市の大きな通りに面している建物は、サイズが大きくなりがちです。都市計画法や建築基準法、自治体の条例によりコントロールされているからです。
大きな通り沿いには大きな建物、幅の狭い通り沿いには小さめの建物を建てる、というのはまちづくりの世界では当たり前のことですが重要な基本事項でもあります。基本を押さえておけば、日本らしい都市を構築するのは容易でしょう。


ちなみに、東京・大手町の高層ビル街とか、大きな通りに面しないのにどーんと建っている高層マンションとかは、別の法的手法が適用されているのでそういうのが実現できています。
国や都道府県、市区町村の偉い方が「こういう土地ではこういう街並みや都市機能を盛り込んでいきたい」という目標を立てて都市計画を練り上げている結果なのですね。
土木系公務員の仕事のやりがいは、「都市の将来像を描いていける」ことなのでしょう。実際、筆者の同級生も国の立場から日本諸都市の未来を構想していける、という希望を抱いて国交省へ進んでいきました。
都市の歴史を考えて計画図を作成
市街地北部と大通り沿いの建築を進めていたころ、筆者は永松の歴史的背景と過去の都市のかたちについて考えていました。
前回、日本のオーソドックスな都市形態に整合するように永松の都市構造を変えたということはお伝えしました。これに関連して、なぜそのような都市構造になったのか、という歴史的な背景についても思考を巡らせていました。
永松は1600年頃に設計・構築された城下町である、という設定はありました。大まかな都市の構造も決まっていました。例えば、もともとの市街地がここで、お城がそっちで、中心駅はあそこで、というような配置についても決定していました。でも、具体的な地図として表現されてはいませんでした。

ということで、これまでにさまざまな文献から得た知見をアウトプットさせて、上のような空想地図を描きました。江戸時代の終わり、幕末くらいを想定した地図です。
赤線は主要街道筋、つまり当時のメインストリートです。黄色の線はそのほかの街道です。北にお城、その南に堀で囲まれた武家地、さらにその南に長方形・正方形の街区が並ぶ町人地や寺社地がある構造です。
なお、謎の五角形が表示されていますが、これは各頂点に城の天守や神社を配置することで都市の結界ができますよ~という遊び心で設けたものです。後にこの計画図は変更することになったので、五角形の結界をつくる試みは頓挫しました。

この都市結界の構想は「仙台の六芒星」からインスピレーションを得たものです。「仙台の六芒星」とは、城下町仙台をつくった大名・伊達政宗が都市設計の際に仕掛けたとされるものです。主要な街路・寺社・城を線で結ぶと結界のように六芒星が浮かび上がるのです。伊達政宗が実際にそれを意図して計画・設計したという根拠は今のところありません。各寺社の創建年がバラバラですし、城下町建設時期とも整合してないですしね。あくまで都市伝説です。でもロマンはありますね。
ともかく、幕末の永松の地図をつくったことで、その後にどのように都市が変わっていったのか想定しやすくなりました。明治時代に入ると鉄道が市街地西端に設けられ、市街地がどんどん広がっていきました。戦後には既存の街路を拡幅させて複数の大通りがつくられた、というような形で、歴史的な都市発展の流れを生み出すことが出来ました。
永松駅の地平化
歴史的な流れをより詳しく設定できるようになったのは良いのですが、そうなるとまた新たな問題が出てきました。中心駅である永松駅は本当に高架駅のままでいいのか、という問題です。

永松は県庁所在地です。都市の規模感で言うと仙台や広島くらいを想定しています。仙台や広島などの中心駅である仙台駅や広島駅は線路が地べたにくっついていて、駅の機能が2階にある橋上駅というタイプです。後付けで高架の新幹線ホームも設けられています。一方、永松駅は在来線ホームも新幹線ホームも2階にあり、駅機能が1階にある高架駅でした。筆者は、これに違和感を覚えました。


日本の鉄道網は明治大正期に超スピードでつくられていきました。このとき、普通は地べたに線路を敷いていきました。最初から高架でつくられたのは東京の本所~両国を結ぶ総武線や新橋~東京間の東京市街線など大都市のごく一部です。こういうのは、東京が戦前から高密度かつ広大な市街地を形成していたからにほかなりません。他の多くの地方都市は市街地面積がそこまで大きくなかったため、市街地の外縁に線路を敷いて駅をつくればそれで済みました。
そのあと、鉄道の役割が大きくなるにつれ、ホームを増やしたりホームの上空に跨線橋などつくっていったわけです。戦後の経済成長にともない新幹線がつくられるようになると、地平の在来線ホームに隣接して高架構造の新幹線ホームができました。
このように形成された地平と高架の二重構造を有する駅が、自身にとって「ターミナル駅」という感じが強かったのです。代表的な例を挙げると仙台・大宮・小田原・京都・岡山・広島・小倉・鹿児島中央などです。
もちろん、最初は地平だったけど高架になった駅もあります。札幌・静岡・新潟・金沢・博多などです。ただ、自身にとってそのような駅は効率的かつコンパクトで都市的な駅という感はあるのですが、しっくりこなかったのです。こればかりは個人の感性によるところですね。
以上のような趣味嗜好と理由付けにより、この機会に永松駅の在来線ホームを地平化させちゃおうと考えました。

上画像が工事中の様子です。新幹線ホームはそのままに、在来線ホームだけ地上に降ろしています。また、元のホームの形もすこし伸ばしてカーブをつけています。

さらに、上画像のようにバラスト(線路の下地)を茶色系ブロック(粗い土)に変えました。バラストの色を変えるだけでも、長年地域を支えてきた古い構造物である印象が出てきます。
下が画像のような高層ビルも駅の近くにつくりました。筆者としては初の斜め高層建築でした。ポツ窓がきれいに並ぶ、バブル期終盤につくられた建物の雰囲気を出しました。

JAVA版への移行とレンダリング
そういえばこの頃、ワールドデータをPCに移行させ、本格的に作業環境を変更させたのでした。
というのも、これまではスマホで作業を進めていたのですが、市街地が大きくなり過ぎたのと描画範囲を広めにして作業をしていたためか、本体の発熱が急速に進みマイクラが落ちてしまう現象が多発したのです。
これからも市街地を大きくしていき、描画も広めの状態で作業したい。さらに、レンダリングを行ってリアルな都市景観を表現してみたいという意思が大きくなりました。そのため、ワールドデータをJAVA版でも認識できるよう変換し、PCに移したのでした。

ちなみにレンダリングというのは、ワールドデータを3DCGソフトに取り込んで光源の位置を調整し、光の当たり方をPCに演算してもらって、影や鏡面反射などをリアルに表現する作業のことです。カメラ調整により圧縮効果なども発現させることが出来ます。
影MODとは異なります。影MODはマイクラで遊んでるときにワールドの見た目をリアルにしてくれるやつです。レンダリングでは、ワールドデータそのものを取り込ませるので、描画距離とかは関係ありません。
建築作業の進行
駅の地平化やPCへの移行などもろもろ進め、再び建築作業を集中的に行いました。左下画像のように、若干斜めの昭和オフィスビルをつくったり、市街地北部に立ち返っておしゃれなビルをつくったりなどしました。


ほかにも、マンションや戦前の公的施設など、さまざまな大きさ・用途・時代の建物をつくっていったのでした。


PCに移行したことで、かなり快適に作業できるようになりました。それに伴い、建築・土木作業のスピードも上がっていった気がします。
まとめ
最後に、今回紹介した開発場所を地図でお見せしましょう。

2023年後半は、建築作業を基本としつつ、詳細な歴史的都市構造の考案、そして駅の大改修と作業環境の変更と、さまざまな作業を行いました。市街地北部では街路網の整備により、街並みが整理されていきました。
次回は2024年前半の開発過程をお伝えする予定です。この時期以降、永松市は建築作業とそれに伴う市街地拡張の時期に突き進んでいくこととなります。
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