
マイクラで現代日本風の街をつくるとき、最初に手をつけたくなるのが「駅」ではないでしょうか。
駅を中心に商業地を広げ、ロータリーをつくり、バスターミナルや駅ビルを並べていく——そんな手順は、多くのプレイヤーにとって日本的な都市づくりの定番だろうと思います。
しかし、いざ駅を置いてみると、「駅の周りってどんな街並みだったっけ?」「中心市街地ってどこにあるんだろう?」と、構造の全体像がぼやけてしまい、都市拡張の際に戸惑ってしまうことがあります。
それは、私たちが今の街の姿には慣れていても、街がそうなった理由を意識する機会が少ないからです。
実は、日本の多くの都市は、もともと城下町や宿場町を基盤として発展してきました。鉄道が敷かれた明治以降、城や既成市街地の外縁に駅が置かれることが多く、駅前に新しい市街地が形成されていったのです。つまり、駅は街の中心であると同時に、新しい街の入口でもあったわけです。
本編では、47都道府県の県庁所在地を例に、日本の都市がどのような構造を持っているのかを探っていきます。
既成市街地(今で言う旧市街や中心市街地のエリア)・鉄道・駅の位置関係を読み解くことで、「なぜこの街はこうなっているのか」という都市の成り立ちが見えてきます。
そしてそれは、マイクラで街をつくるときのリアリティを生む設計のヒントにもなり、この構造を理解すると、駅の置き方や街の発展方向にリアリティが生まれます。今回はその第一歩として、日本の都市がどのように鉄道と結びついて発展してきたかを見ていきましょう。
日本の都市構造:典型的な発展の流れ
都道府県所在地のほとんどは、近世城下町を基盤として発展してきました。
札幌は開拓都市、青森・新潟・横浜・大津・神戸・長崎は湊町、さいたま(浦和)は宿場町、千葉・長野は門前町、京都・奈良は古代都城、宮崎は在郷町が基盤となっていますが、それ以外の34都府県庁所在地は城下町由来です。そこで今回は城下町を基盤とした都市を例に、典型的な発展の流れを説明していきます。
なお、開拓都市や門前町の場合、城下町において都市の核となっていた城を官庁や中心的な寺社に置き換えて考えることも可能です。
開拓都市や門前町等の日本の都市の諸類型についてはこちらを参考にしてみてください。
それではさっそく近代における日本諸都市の発展フローについてその概要を説明いたします。

明治期:鉄道開通 ― 市街地の“外側”に駅ができた時代
まず明治期、全国で鉄道が建設され始めたころ。当時の各地方における中心的な場所は言うまでもなく人が集住している「城下町」でした。しかし、鉄道はその町場の中を通ることはほとんどありませんでした。
なぜなら、当時の城下町には武家屋敷や官庁、寺社などが密集しており、鉄道を敷くには土地の買収や地形改変が難しかったからです。そのため、鉄道は町の外側――おおむね旧城下の外縁を通るように建設され、駅も“郊外”に位置することが多かったのです。
たとえば、盛岡や金沢、松本や高知などがこの典型です。現在でも「駅前」と「中心市街地(旧市街)」が少し離れているのは、こうした明治期の鉄道配置の名残なのです。
大正~戦前昭和期:私鉄・路面電車の登場 ― “駅と中心市街地をつなぐ”時代
次に、大正から戦前の昭和期になると、都市の交通事情は大きく変わります。鉄道省の路線(現在のJR)だけでなく、私鉄や路面電車が登場し、駅と旧市街を結ぶ軸が整備されていきました。
この時期、駅前には商店が立ち並ぶようになり、それまで「城下町の外れ」だった駅周辺が、次第に都市の新しい顔として発展していきます。
一方で、駅や中心市街地とを結ぶ軸線上に路面電車が開通することで、“中心市街地と駅前がつながる”構造が生まれました。仙台市電や名古屋市電、金沢市内線や大阪市電などが好例です。
戦後期:地下鉄とモータリゼーション ― 都市の“多心化”
そして戦後、交通渋滞の原因とみなされて路面電車が次々と姿を消し、自動車交通が主流になると、鉄道は地上から地下へと潜り、都市はさらに複雑化していきます。
大都市では、中心市街地・駅前・郊外それぞれが機能を分担し、複数の中心をもつ多心型都市構造へと進化しました。名古屋の「名駅と栄」、大阪の「梅田・難波・天王寺」などはその典型です。
こうして見てみると、日本の都市は単に“駅中心”でできているのではなく、中心市街地・駅前・郊外という重層的な構造をもっていることがわかります。
なお、本稿では鉄道と市街地の関係について着目し、その発展フローを説明しました。より広範(マクロ)な都市の典型的な発展フローについてはこちらも参考になります。ぜひご覧ください。
次に、この都市構造がどのようなパターンで存在しているのか、「市街地と鉄道の位置関係」から整理してみましょう。
日本の都市構造:3つの基本タイプ
日本の都市は、もともとの城下町や宿場町の形をもとに、鉄道到来以降、時代に合わせて再編されてきました。
そのため、城郭・中心市街地・駅の位置関係には一定の傾向が見られます。ここでは、都道府県庁所在地を大まかに3つのタイプに分類してみましょう。

①鉄道が市街地を避けて通った「市街地外部型」
最も多いのがこのタイプです。盛岡、静岡、松江などに見られ、市街地の外側を鉄道が配置されている構造です。既成市街地を避けるためであったり、地形の制約などにより市街地と駅が離れました。
このことから、現代においては駅前と中心市街地が別々に商業の中心として発達しており、駅前と中心市街地を結ぶ通りは重要な都市軸になることが特徴です。
②市街地の内部に駅が置かれた「市街地内部型」
次に多いのがこのタイプです。仙台、鹿児島などが代表例で、市街地の内部に駅が設置されています。市街地外部型よりも城・市街地・駅が互いに距離が近く、コンパクトで市街地の求心力がより高くなるように発展してきした。
マイクラで再現するなら、城と駅を結ぶ大通りを意識するとリアルになります。
③鉄道が旧城地を横断した「城郭内部型」
山形、東京、福山などがこのタイプで、城郭内部を鉄道が通過しています。明治期の都市改造で、城郭の跡地が官公庁街や駅前区画として再利用された結果です。駅が市街地に近いぶん、都市の核が一体的になっていますが、城郭と市街地が分断されることになります。
この3タイプを知ると、「駅をどこに置くか」で街の性格が大きく変わることが分かります。
まとめ
本稿では、鉄道の導入が近代都市の発展にどのような影響を与えたのか、そして市街地と鉄道施設の配置がどのように関係してきたのかを整理しました。
世界の都市を比べると、採用された交通整備の方針によって、その発展の姿が大きく分かれています。
たとえば、ヨーロッパ諸国や日本は「鉄道先行型」。道路よりも鉄道整備を優先し、都市間の移動や物流を鉄道で支える形を取ってきました。鉄道駅は都市の中心として発展し、駅前が商業の核となる――そんな構造は今の日本にも色濃く残っています。
一方で、アメリカやオーストラリア、中国のように「道路先行型」の国々では、鉄道駅があっても、駅前が必ずしも街の中心になるとは限りません。むしろ、高速道路沿いに商業施設が並び、車を前提とした都市構造が形成されています。
日本の場合、鉄道と都市が一体となって成長してきた経緯が、後に「公共交通指向型都市開発(TOD:Transit Oriented Development)」として体系化されました。

これは、鉄道駅などの交通拠点周辺に都市機能を集中させ、鉄道やバスなどの乗り換えをスムーズに行えるように整備する都市づくりの考え方です。
日本のTODは、今や東南アジア諸国でも注目されており、その背景には、技術者たちが既成市街地との距離感や配置関係を丁寧に考えながら、将来の都市像を描いてきた歴史があります。
次回は、地方別に明治大正期の各都道府県庁所在地を取り上げ、その市街地と鉄道施設の配置関係を見ていきます。そして、マイクラでどのように応用できるかを具体的に見ていきましょう。



