はじめまして、えいらくちょうと申します。マイクラで「永松市」という街を創っています。
「永松市へようこそ!」シリーズは、永松市にまつわるエピソードを通じて、マイクラでの街づくりに役立つヒントをお届けする企画です。今回は第1回として、永松市の開発初期について綴っていきます。
橋を起点に開発開始
永松市の製作が始まったのは2021年の6月30日でした。大規模な街をつくりたいという漠然とした思いから、ワールドタイプはスーパーフラットを選びました。
ただし、当時のスーパーフラットは地表面から岩盤までがわずか4ブロック程度しかなく、地下空間も存在していませんでした。
この制約のため、将来的に地下鉄を作りたかった私は、地表面から50ブロック上空を新たな基準面として街づくりを開始しました。
最初に何を作るかについても試行錯誤がありました。過去には「まず大きな駅を作って街を広げる」という方法を試みましたが、ことごとく失敗していました。
今回は失敗や挫折を防ぐために趣向を変え、街づくりの基点として選んだのは「橋」でした。
この考えの背景には、江戸の街づくりからインスピレーションを得たことにあります。江戸の街は日本橋を起点として発展していきました。
その日本橋をモデルに、「橋」を起点に道路や街区を展開させていこうと考えたのです。
はじめて創った橋の名前は「桜東橋(おうとうばし)」といいます。
名前の由来は、京都御所に植えられている左近桜(さこんのさくら)からきています。永松市の開発を始めたころに京都御所へ観光に行き、その桜が印象的だったから名付けたような気がします。
桜東橋が完成すると、そこから南へ道路を伸ばし、川沿いの街区に最初の建物を建てました。
この建物は、私の中で「暫定行政庁舎」という設定でした。自分の街づくりをきちんと進めていくために、権威を象徴する建物を作ることで心を引き締めたかったのだと思います。
「権威」という言葉には、「人に影響を与え、その行動を促す力」という意味があります。私たちは日々の生活の中で、親や先生、上司といった存在に対して自然と敬意を抱き、その言葉や行動に影響を受けることがあります。
こうした権威の力は、単に力で押し付けられるものではなく、信頼や責任が伴っていることが多いからです。
そのため、権威を感じることで、私たちは自分自身の行動を律したり、物事を進めたりするきっかけを得ることがあります。
この「権威」という考え方は、趣味や創作活動の中でも役立つものだと感じます。たとえば、自分の作品を誰かに見てもらうことでファンが生まれると、そのファンからの応援や期待が、創作を続ける原動力になります。
応援してくれる人がいると、「次はもっと良いものを作りたい」と思う気持ちが自然に湧いてくるものです。このようにして、ファンの存在が創作活動を支える大きな力になっていきます。
また、こうした外からの期待だけでなく、自分自身に対して「もっといいものを作りたい」という気持ちを持つことも、創作を続ける上で大切な要素です。
作品を通じて誰かに喜んでもらえたり、感動を与えたりすることが分かると、自分の中にあるモチベーションが高まり、それがさらに良い作品を生み出す循環を生みます。
創作活動における「権威」とは、何も堅苦しいものではなく、自分自身を奮い立たせる力であり、周りの人の期待や応援と相まって、成長や新しい挑戦を後押ししてくれるものだと思います。
ちなみに、この「暫定行政庁舎」は2024年現在も残っており、永松市の都心部にある古めかしいオフィスビルとして街の景観を形作っています。
その向かいには、日本橋にあるオフィスビルをモデルにした建物を建てました。その結果、桜東橋南の地区は日本橋をイメージした街並みへと自然に方向性が定まっていきました。
中央駅を構想
街づくりがある程度進み、道路や街区が整った頃、「そろそろ中央駅をつくろう」と考えるようになりました。その駅名はシンプルに「永松駅」としました。
さらに、この永松駅の場所については、日本橋と東京駅の位置関係を参考にしました。日本橋の南西に東京駅があるように、桜東橋の南西に永松駅を配置しようと計画したのです。
先ほども述べましたが、当時の私は東京都心の日本橋地区をモデルにして都市構造を計画しようと考えていました。
最初は桜東橋周辺についてのみ考えていたのですが、そのまま街路形態や中心駅の配置場所についてもそれが適用するよう無意識に考えていたのでした。
具体的には、桜東橋を通る「桜東橋通り」を日本橋を通る「中央通り」に見立てました。そして、その通りから西に2街区離れた場所に、「外堀通り」に当たる「大通り(外堀通り)」を設けました。
さらにこの考えに基づき、永松の外堀通りと東西に流れる川が交わる地点に、「一石橋」に倣って「一国橋」を設置しました。また、「呉服橋」の代わりに「大手門橋」を外堀に架けました。
ところで、マイクラで街づくりを始める前、私は戦前の外堀通りの写真を見たことがありました。その写真には、今では失われてしまった美しい外濠のそばを、小さな電車が走る光景が映っていました。
そして、実際にマイクラで街づくりを始めるとふと、「この風景を再現したい」という気持ちが湧いてきたのです。「せっかくなら、あの美しい風景をマイクラで具現化してみよう」と思い立ち、通りの真ん中に電車用の軌道を敷きました。
こうして、過去に見た写真のインスピレーションにより、永松は「路面電車が走る街」という特徴を持つことになりました。
起動を敷き終わると、ここで現代のマインクラフトプレイヤーにありがちな欲望が湧いてきました。
「高層ビルを作りたい!」
ということで、永松初の高層ビルをさっそく建てることにしました。モデルにしたのは京橋にあるビルで、頭頂部の曲線が特徴です。
さらに勢いそのまま、2棟目の高層ビルも作ってしまいました。こちらは東京駅日本橋口付近にあるビルをモデルにしており、永松駅予定地の北側に建設しました。
中低層ビルを建てまくる
高層ビルを2棟建てたことにより、大規模建築をしたいという欲が薄れたためかどうかは分かりませんが、それまでおざなりになっていた中低層ビルの建築が本格的に始まりました。
桜東橋通りと外堀通りに挟まれた街区に次々と建物を建てていき、市街地を南方へ拡大させていきました。このころは、グーグルマップのストリートビューとグーグルアースを使ってじっくり建物を観察しながら見よう見まねでつくったことを覚えています。
もちろん今でもそのようにしてますが、当時はかなり熱心に観察し、時間をかけていたと思います。
グーグルマップとグーグルアースの活用はマインクラフターにとって必須と言えるものです。これからマイクラで街づくりをする方は、これらのツールを使ってまずは真似してつくってみることを強くおすすめします。
2021年9月頃には、上の画像のように「都市らしさ」を感じられる景観が徐々に出来上がってきました。「都市らしい」とは人によって捉え方が違うかもしれませんが、いろいろな用途やサイズの建物が密集している様子が自然と感じられる景観のことかな、と私は思っています。
画像の中央下には、戦前に造られたような雰囲気のレンガ建築が見えますね。これは、都市開発を始めたころに日本橋地区の歴史を調べていて目にした画像の建物を参考に作ったものです。
モデルとなったのは、1910年に竣工した日本橋の丸善本社屋です。この建物は1923年の関東大震災で焼失し、再建されてしまったため、現在は見ることができません。
ところでこのレンガ建築を作ったとき、桜東橋通りと交差する大通りはまだ存在していませんでした。これは、「せっかくなら、このレンガ建築を大きな交差点の角地に配置してみせたい」と考えたため、後から大通りを作ることにしたのでした。かなり当てずっぽうですね。
この大通りは、東京で言う八重洲通りのような、駅前の大通りとして整備されていくことになります。
まとめ
最後に、今回紹介した開発場所を地図でお見せしましょう。
初期の開発地区は、完全に日本橋地区をモデルに構築されたことが見て取れますね。日本橋地区の縮小版という感じがします。
それでも、マイクラで街づくりをはじめる際は、現実の都市構造(街区パターン)をモデルにしてとっかかりを得ることが大事です。
とっかかりを得ることが出来れば、あとはさまざまな用途・大きさの建物を建てていくと都市らしい風景(都市景観)をつくりだすことができます。
都市景観をつくりだすと、自然と開発を続けていこうという気持ちが湧いてくると思います。
こうして永松市は、橋から始まる街づくりというユニークな手法で発展の第一歩を踏み出しました。この経験が少しでも皆さんの街づくりの参考になれば嬉しいです!
最後までお読みいただきありがとうございました!
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