永松市(ながまつし)とは、マインクラフトで街づくりをしている人「えいらくちょう」により創られている日本の空想都市です。
2021年から制作が始まり、都市面積は約1.5㎢におよびます。(2024年現在)
基本設定
永松市は、日本のどこかにある永松県の県庁所在地です。政令指定都市であり、人口は100万人前後です。広幅員道路網、都市高速道路、鉄道路線網が充実しています。
都市としての歴史は、戦国大名・滋野氏により造られた永松城下町に始まります。
永松城下町ができる前、この地は北・東・西を河川に、南を海に囲まれた巨大な中洲であり、その北端には小山がありました。
この小山から中洲を眺めると、見事な松原だったので、いつからか「長見松原(ながみまつばら)」と呼ばれるようになりました。
1600年頃、滋野氏は中洲北端の小山に城を築き、領国支配の拠点としました。
この際、「長見松原」は「長松」と縮められ、さらに「永松」と好字に改められました。
これが、永松の由来となっています。
城下町建設に際しては、小山(永松城)から南方向へ一本のメインストリート(大手道)が引かれ、そこから平行・直角に街路が設けられました。
街区は南北辺が短い矩形となっていて、街区内に空き地が生じないようになっていました。
この時設けられた街路は、現在でも永松の基本骨格として活かされています。
交通網
上画像は中心駅である永松駅とその周辺です。新幹線、在来線、地下鉄線、私鉄(地下)、市電が集まる重要な交通結節点です。
鉄道開通以前は河岸場がありました。維新後、鉄道開通により堀が埋め立てられ、新たに道路が整備され、市電も開通しました。
しかし、昭和10年代から円タクや乗合自動車の普及に伴い渋滞が目立ってきました。戦後、戦災復興都市計画により道路が大幅に拡幅され、現在のような幅員になりました。
80年代には地下鉄建設が始まり、現在では市民の新たな足として活躍しています。
先述した、都市の骨格ともいえる街路形態についていえば、江戸時代の細い道、明治大正期に拡幅された中規模道路、戦災復興により構築された広幅員道路などが存在しますが、それぞれの道は互いに細かな機能の差異がありつつも、その差異を相互に補い、有機的なつながりをもって、人や車やモノを流しています。
近世城下町という形で誕生した永松は、過去からの伝統を受け継ぎながら、たしかな成長をとげてきました。