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【都市思想】私たちが都市に対して抱きがちな勘違い

minecraft都市「永松市」の永松駅周辺の様子

日本に住んでいる人々の内、約45%の人々が「都市」に住んでいます。

そして、都市生活者にとって都市というものは、自分たちが安全に暮らせる家があり、学校や職場があり、さまざまな人々同士の関わりによっていろんな活動が生まれている場であるというのは、だいたい共通して認識していることであろうと思います。

しかし、おおもとの共通認識はあっても、都市の見方というのは当然皆違っています。

みんな違ってみんな良いとは言いますが、マイクラで街づくりをするうえで、都市に対する誤解が生じているのは、よりよいマイクラライフを送る上では少し問題になります。まあ、マイクラに限ることでもありませんが。

ということで今回は、もしかしたら皆さんが勘違いしているかもしれない事実を紹介していきます。

今回の内容は高校生以上の方を対象にしており、すこしむつかしい内容となっております。

自分の住む街には個性がない

皆さんは、自分の住んでいる街は無個性でつまらないと感じたことはありませんか?私も昔、そのように感じていたことがあります。

しかし、東京や大阪といった大都市、仙台や岡山といった政令指定都市、盛岡や福井といった中規模都市、あまり有名でない市町村を巡っていくうちに、その考えは変わっていきました。

日本には、さまざまな歴史性や文化性長所と短所を持つ都市が存在します。そして、それらの要素が全く同じ都市はなく、それらの差異によって「都市の個性」というものは発揮されているのだろうという考えになりました。

「東京と比べて、自分の地元はなんて田舎なんだろう」という言葉は周囲の人達から何度も聞いてきましたが、それはまた違う次元の話です。

たとえそれは事実でも、地元が無個性だとか、魅力がないということではないということです。

東京以外のさまざまな都市、とりわけ地方都市に訪れると、地元に対して違う見方ができると思います。

訪問先の都市の個性的な部分を感じ取るだけでなく、地元との差異も見えてきて、それが地元の個性的な部分だったのだなと再認識できるのです。

多くの人は、自分の街を「普通」や「平凡」と感じがちですが、どの都市にも必ず独自の歴史や文化、地理的特徴があります。たとえば、地名の由来や伝統行事、特産品などは、その都市だけの個性です。日常に慣れすぎているため、特別さに気づきにくいだけです。

自分の住む街には歴史がない

先述した「歴史性」に関連することですが、歴史を持たない都市はありません。

「自分の住んでいる街は、最近の区画整理によってできた街だから、何も特徴がないし、歴史もないんだが?」という風に思う人もいるでしょう。

京都や奈良は誰もが認める歴史的な都市でありますし、博多や新潟も古来からの湊町で、東京や大阪をはじめとする多くの都市も江戸時代に造られた城下町です。

たしかに、それらの都市と比べると、区画整理などで生じた街やニュータウンは「最近できた、もしくは戦後に切り開かれた都市である」という見方は誰でもできます。

しかしながら、その都市内の細かな様子を視ていくと、隠された歴史性が見えてくるのです。

マインクラフトで作られた住宅街にある神社

例えば、神社や寺といった施設です。区画整理が行われても、寺社はそのまま残り続けていることはよくあります。施設の規模にかかわらず、寺社が存在してるのはその土地には昔から人の営みがあり、住居があり、周辺の都市や集落と交流していたという証左でもあるのです。これは石碑や祠なども当てはまります。

田畑の場合はどうでしょうか。もともと田畑であった場所は一見すると何もないと思われそうですが、田畑は立派な人工物であり、そこにはさまざまな工夫の痕跡が見えてくるのです。

田んぼの場合、昔の人々はその土地にまんべんなく水を行き渡らせるために工夫を凝らして水路網を築きました。そしてその水路網は、たとえ圃場整備されていたとしても、残されていることが多く、都市化しても活用されている事例が多いのです。

畑の場合、古来から使われてきたため池などが街づくりに組み込まれて、住民の憩いの場になっていることがあります。

では、もともと人が住んでいない山であったところはどうでしょうか?

山に囲まれた土地の場合、そこにはもともと街道や脇往還といった古くからの主要道路が通っていた可能性があります。川沿いなら、河口の街と山間部の街を行き来していた舟運ルート船着場が存在していたかもしれません。

山の斜面の場合、そこは周辺地域や都市部へ産出されていた木々の伐採場であったかもしれません。その山地で切られた木々が、周辺都市の住宅や寺社などの材料として用いられたのです。

以上のように、どんな都市でも、少なからず過去の人間活動の痕跡というものは残っていて、大小の差はありつつも、その地域における歴史性を表しているのです。

駅前の賑わい=その都市全体の代表

駅前ってたいてい賑わっていますよね。駅の周辺には多くの飲食店や商業施設があり、最近では駅の中にもさまざまな商業施設が出来てきています。でも、駅前はその都市を代表する地区とは限らないのです。

たとえば古い都市ならば、当然現代の駅周辺ではない場所が都市の中心であったはずです(明治以前は鉄道駅は存在しないので)。さらに言えば、駅周辺は、設置された当初は町はずれであったことがほとんどでした。

駅周辺が都市の中心として認識されるのは悪いことではありませんが、その都市の「歴史」を振り返った時、本来の都市の「中心」が忘れ去られる、もしくはおざなりにされることは、少々問題があるのです。

明治以降、鉄道は人や物の移動を大きく変えました。駅が設置されると、その周辺に商業施設や住宅地が集まりやすくなり、結果として都市の中心が移動することが一般的になりました。

駅周辺が現在の「中心」として認識されるのは、利便性やアクセスの良さが理由であり、経済活動の活発化や都市の成長に寄与してきました。

一方で、都市の歴史や文化の源である本来の中心地(城跡や寺社、門前町など)が忘れ去られるのは、地域のアイデンティティ文化遺産を軽視する結果につながりかねません。

その場所が単なる住宅街や衰退した地域として扱われると、都市の独自性が失われ、均質化が進んでしまう可能性があります。

本来の「中心」をおざなりにしないためには、駅周辺と歴史的な中心地の両方をバランスよく活用することが重要です。例えば、

  • 観光資源としての活用:歴史的な中心地を観光地として整備し、魅力を発信する。
  • 文化的イベントの開催:地域の伝統や文化を活かしたイベントを歴史的な中心地で行う。
  • アクセスの向上:駅周辺と歴史的中心地を結ぶ公共交通網を整備し、相互のつながりを強化する。

駅周辺が「中心」として機能するのは自然な流れですが、歴史的中心地の価値を見直し、保存や活用に努めることは都市の個性を守り、未来に継承するために欠かせない取り組みです。

この両者が共存することで、都市は利便性と歴史の両面を持つ、より豊かな場所になるでしょう。

都市=大きな建物や施設が多い場所

「都市らしさ」をビルやショッピングモールなどの「物理的な規模」で判断する人が多いですが、都市はそれだけではなく、人の活動や文化、歴史が密集している場所という側面も重要です。大規模な建物がなくても、ユニークな都市があります。

そもそも、都市の定義とは何でしょうか?辞書によると、以下のように定義されるようです。

都市は、人類の居住形態や社会の一種です。集落には、土地に密接に関わる産業が中心の村落と、そうでない産業に従事する都市的集落があります。都市的集落は町と都市に分かれ、地理学や社会学の対象となります。かつては都市と村落は生活の違いから区別されていましたが、現在ではその差は小さくなり、対立的には扱われません。ただし、土地利用では都市的土地利用(住居、業務用建造物、鉄道など)と村落の土地利用が異なります。行政上の町や市が必ずしも都市を意味するわけではなく、農村部を含む町や都市的集落のみを単位とする市も存在します。

なんだかよくわかりにくいですが、簡潔に言うと、都市は人類の居住形態の一種で、住居や道路、鉄道など都市的土地利用が集まった地域であると言えそうです。そして、村落とは土地利用や産業内容で区別されるようです。

つまり、「物理的な規模」は都市か都市でないかの判断基準にはなりえないと言えるのです。

都市計画は完璧に設計されている

多くの人は都市計画がどうやって作られているのか、あまり知ることはないでしょう。都市計画税を取られているのに、それがどのように活用されているかは、ほとんど誰も知りません。

都市計画は地方自治体によって作成されます。都道府県や市町村などです。しかし、自治体職員全員が都市計画について詳しいわけではなく、数年で異動することがあるので、建設コンサルタント会社などに委託し、協力して作る場合もあります。そういえば、建設コンサルタント業も世間一般には全然知られていませんね。

実は、都市計画は自治体ではなく建設コンサルタント会社が作ることがほとんどです。おおざっぱに言うと、自治体の都市計画課は予算を取ってきて「こんな街にしたい」という目標を設定するのが仕事、建設コンサルタント会社は自治体から業務委託されて、実際にデータを収集し分析・評価を行って計画を具体的に作成するのが仕事ということです。

「まちづくり」と一言に行っても、関わり方は無数に存在します。

余談ですが、将来は都市計画等の業務に関わりたいと考えている方は、高校の文理選択の際に理系を選び、土木建築系の大学に進むことをおすすめします。また、大学院進学も視野に入れておいたほうがいいです。

残念ながら、今の日本では土木建築の学問は理系に属しています(そもそも日本における文理が断絶しすぎていることは問題ですが)。

そのため、文系に進んだ方は、地理系学科に進み、測量に特化した建設コンサルタント会社を志望すると、都市計画に関わることが出来る可能性はあると思います。

自治体の技術職希望の方は、勉強すれば受かりはするでしょう。ただ、面接の際「なぜ土木建築系に進学しなかったのか」など聞かれるかもしれません。

話を戻します。ここまで聞くと、自治体やら民間企業が作ってる計画なのだから整然と計画されていて、完全に実行されているだろうと信じてしまいそうです。

が、実際には都市は歴史や人々の生活の積み重ねで形成されており、必ずしもそれらをはねのけて計画通りに進ませるいうことはないのです。予期せぬ発展や衰退も多く、現代の都市形態はその結果です。

例えば、新たな幹線道路を設けることを想定しても、予算編成・計画・交渉・用地買収・整備などといった段階のいずれかでつまずくことは往々にしてあります。そのたびに、当初計画からの変更を余儀なくされたりすることがあるのです。

そうなると、もう最初に志向した理想的な幹線道路ではなくなるのです。でも、それはあらゆる問題や障害を乗り越えて形づくられた苦心の結果でもあるのです。

ちなみに、都市計画税の活用方法を詳しく知りたい方はこちらの総務省のページを確認してみてください。

都市計画は役所の仕事

先ほどの話と関わることですが、都市計画作成を役所の仕事であると考えるのは完全に誤解です。

確かに、昭和の終わりころまで、都市計画は完全に役所の仕事であり、市民が関わることなど皆無でした。

そもそも、日本における近代都市計画は明治維新後にお雇い外国人によって作られたのが最初です。そして、少し時代が下ると、当時の役人がお雇い外国人から欧米の手法を学んで、日本人による独自の計画に落とし込んでいました。

当時の日本において役人になれる人、つまり役人になるための試験を受けられる人というのは、いわゆるお金持ちで、十分な教育が受けられて、中等教育以上まで行けるような人です。

現代の我々からすると、高校や大学まで行くのは当たり前のことですが、戦前は中学校まで行く人は25%程度だったのです。

都市計画は、そんなエリートな人たちだけで共有されるような事柄であり、役所内で受け継がれるような手法でもあったのです。

ちなみに、橋梁や水門といった土木構造物の設計も役人が行うことがほとんどでした。

震災復興や戦災復興の際も、役人らは受け継がれた思想技術を計画に落とし込み、日本の各都市を適切な形に整えていきました。そしてそれは、ある程度うまくいっていました。

しかし、高度経済成長期に入ると、役所の仕事量がどんどん増え、役所だけでは処理できなくなっていきました。そこで、都市計画や土木設計などの実際の業務は民間企業に委託するようになったのです。

委託先は、戦災復興の際に出現した民間測量会社です。この民間測量会社は、後にさまざまな都市に関する業務を請け負う建設コンサルタント会社へと発展していきます。

こうして、民間企業でも都市計画に関わることとなりました。それでも、実際に住んでいる人々にとっては、まだまだ遠い存在でした。

日本の高度経済成長期が終わり、1970年代にはいると景観問題が大きな盛り上がりを見せていました。

それまでは、「国家の発展が優先で、景観なんて構ってられない」という状況でしたが、高度経済成長期が終わると、人々は自分たちの都市を眺めて「なんて汚い街並みなんだ」と冷静になって受け止めるようになったのです。

そこで人々は、自分たちで独自の景観条例を作り、景観団体を作っていったのです。しかし、それは法令に裏付けされていないので、強制力はなかったのです。

1980年、都市計画法の改正により地区計画制度が創設されました。これは、地区からの視点で住民の合意のもとに計画を進める制度です。住民参画が本格的に導入された、日本の都市計画史上画期的なものでした。

その後、1992年にも改正され、市町村マスタープランが創設されました。この策定手順には市民参加が義務付けられているのです。

このように、日本では高度経済成長期の終わりと共に、都市計画に住民が関わるようになりました。行政と専門家、そして住民の三者が協力して「まちづくり」というものを形成するようになったのです。

つまり、都市計画は役所だけの仕事ではなく、住民の参加が必要不可欠なものになっているのです。

都市の衰退は悲惨なこと

都市は発展だけでなく、人口減少や産業構造の変化で衰退することもあります。でも、これを理解せずに衰退を失敗だとか悲惨なことと捉えるのは誤解です。むしろ都市は常に変化しているものだと考えるべきでしょう。

たとえ都市規模が縮小しても、それはむしろチャンスであると捉えることもできます。現在、国が推進している「コンパクトシティ」などがその典型です。

「コンパクトシティ」の目的は拠点を集約して市街地のスケールをコンパクト化することにより、歩行を移動手段とした生活スタイルのまちづくりを進めようとするものです。これは「ウォーカブルなまちづくり」とも関連します。

具体的には、立地適正化計画の策定により、拠点を集約させる区域と住居を集約させる区域を定めます。そして、拠点を集約させる区域に建物を建てる時には補助金を出したり、区域外で開発しようとするときは届け出させることで、都市機能集約と市街地拡大抑制を図るのです。

では、都市をコンパクト化つまり縮小するとどのようなメリットがあるのでしょうか?

都市中心部に拠点機能を集約させると、人々はその一点に向かって移動するようになります。そうなると、昼間人口が増えます。

人が増えると商業施設は儲けやすくなります。そうすると商いをしたい人が集まってきます。未利用の土地を活用して商業施設を設けます。

そうすると都市の密度を向上させ、地価が落ちにくくなります。地価が落ちにくくなると固定資産税収が上がります。

また、未利用の土地に住居などを建てると人口密度が上がります。そうなると定住人口が増え、ますます、儲けやすくなり、人がより集まるようになります。

また、公的機関を集めるとさまざまなコストが下がり、税金支出が抑えられます。

さらに、拠点を集約させると車より徒歩のほうが回りやすくなります。徒歩で移動する人が増えると、市民全体の健康度が上がります。特に、高齢者は寝たきり率が下がり、健康寿命が延びます。

「コンパクトシティ」に代表されるような、都市を畳んでいく施策はもうすでに始まっているのです。そしてこれらの施策は、現在日本が直面する人口減少や高齢化に合わせつつ、それをチャンスととらえて都市の再編を行い、衰退しきった市街地中心部を再生させる画期になりうるのです。

ちなみに、中心部にくそデカい商業施設を設けるだけとか、市街地拡大抑制だけに注力するとか、市民の自動車依存状況を考慮せず、無理やりコミュニティバスを走らせるとか、そういうことをやると失敗します。そのような事例があることも、ここまで読んだ方は既に知っていると思います。

人々は、メリットを提示されても、それに対して共感しないとなかなか動きません。つまり、人々に対する周知や呼びかけはもちろんのこと、住民にも事業に参加してもらうことはとても大切なことです。

行政が勝手に引っ張って「こういうのできたから」「こういうのするから」という姿勢ではダメなんですね。

まとめ

ということで、人々によくありがちな都市に対する誤解と、それに対する事実を述べてきました。

最近ではSNS上で「日本第三の都市はどこだ」「都会田舎判定」「地方は車がないと~」などという議論が時たま盛んになっています。

「やっぱり東京一強だ」「自分の住む街がけなされた」「地方なんて切り捨てろ」

正直、都市に関わっている実務者からすると、そのような議論や意見はまったくもって不毛なものであり、次元が違います。

まして専門家でもない門外漢がそのような議論を交わしていても何も生み出されません。

現在日本は人口が減少しています。そしてこれから、東京の人口も減っていきます。人口減少は日本の各都市の共通課題になります。

そして、国の専門家らはそんなことは見越したうえで、課題解決のために2050年に向けた起死回生の計画を綿密に立てています。さらに、2050年のその先を見越した計画も立てています。

その計画の基礎的な考えは、昭和期の「都市拡大主義」とは全く真逆の「都市を畳む」というものです。この考え方は、日本史上誰も経験したことのないものになります。

残念ながら、多くの人々にとって、それは簡単に受け入れられることではありません。当然ですよね。震災復興の時も、戦災復興の時も、高度経済成長の時も、人々は未来を志向して計画を立てて実行していたのですから。それを縮小させるなんて、考えたくもないことです。

でも、見たくない現実に今向き合わなければ、日本全体が沈没します。

見たくない現実に向き合うのは、国や自治体だけでなく、我々一般市民もです。

各自治体は徐々にその考えを受け入れて、自分たちの街に対して適切な処方箋を作り上げようとしている段階にあります。一部の市民は処方箋の効能を見て、よりよい住環境やビジネスチャンスを求めてすでに行動しています。

都市比べとかして楽しんだり煽ったりする段階ではないのです。あなたも適切に情報を見極め、都市に対する誤解を解いたうえで、都市の将来について考え、行動するときではないでしょうか。

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