マインクラフトで街を作るとき、どんな街を作りたいかの方向性を最初に決めることは非常に大切です。もし方向性を決めずに作業を始めると、街の中心がわからなくなり、街の形が不規則になったり、突然道路の方向が変わったりすることがあります。その結果、整った街並みが作りにくくなります。
そのため、街づくりを始める前に「都市類型」を理解して、どのような街を作るのか、方向性をしっかり決めることが重要です。これにより、計画的でバランスの取れた街を作ることができます。
都市類型とは?
都市類型とは、さまざまな都市をそれぞれ特徴やタイプの近しいものをまとめていって類型化したものです。
たとえば、海の中にいてヒレで呼吸する生き物を魚類、くちばしがあって卵から生まれる生き物を鳥類、体毛があって母乳によって育つ生き物を哺乳類とする、みたいな感じで、共通点を見出してグループ分けすることを類型化といいます。
都市についても、以下のように類型化することができます。
- 古代都城…古代日本の畿内(現在の近畿地方)に造られた初めての計画都市。長方形の都市範囲と、碁盤の目のような街路が特徴。
- 湊町…日本各地で見られる、海や川に面した都市で、主に交易の中心地として発展。
- 在郷町…中世から日本各地に自然に形成された都市で、農民が集住し、商工業が発展。
- 門前町…大きな寺社や神社の近くに、参道に沿って発展した町。信仰の中心となる施設とその周辺に集まる町家が特徴。
- 寺内町…中世の畿内、北陸、愛知などに建設された、仏教の僧侶や信者が自衛と自治のために集住した都市。
- 宿場町…中世から近世にかけて、主要な街道に設けられた中継地。旅人の休息所として機能し、商業活動も展開。
- 城下町…1600年頃に日本各地に造られた都市で、城を中心にその周囲に町が広がっていた。身分ごとの土地の使い分け(ゾーニング)が特徴。
- 開拓都市…明治時代に北海道で作られた計画都市で、城下町の構造とアメリカのグリッドシステムを取り入れている。
- 田園都市…19世紀末のロンドンで生まれた理想的な都市モデルを基に、大正期の日本の郊外に作られた計画都市。都市と農村の良い部分を融合させた構造。
- ニュータウン…戦後、日本で住宅不足を解消するために郊外に整備された新しい都市。宅地供給を目的としており、計画的な街づくりが特徴。
けっこう多いですよね。日本の土地には、昔から人々の生活や活動が積み重なり、その結果として、多様な都市が生まれてきたことがわかります。
さっそく、順番に解説していきます。
古代都城
古代都城(こだいとじょう)
古代都城は、中国の都城を参考にして、古代日本で建設された計画都市です。
代表例としては、京都(平安京)がよく知られています。他にも、奈良(平城京)、橿原(藤原京)、大阪(難波宮)があります。
これらの都市は条坊制という方法で作られました。条坊制とは、街を碁盤目状に区画し、約120m四方の正方形の街区を作る手法です。
ただし、古代の街路や区画がそのまま残っているのは、京都や奈良、橿原の一部だけです。その理由は、遷都や戦乱、住みやすさの問題などで都市が一度荒廃し、その後の都市開発で道路が変わってしまったからです。
もしマインクラフトで古代の街を作るなら、街路や街区が現代までそのまま残った設定にするのも面白いです。ですが、歴史背景を取り入れると、より深い街づくりが楽しめるでしょう。
湊町
湊町(みなとまち)
湊町は、海や川の近くに町が作られ、主に漁業に従事する人々が集まる都市形態です。大規模な湊町では、交易の拠点としても重要な役割を果たしていました。
日本は島国であり、古くから多くの湊町が全国に点在していました。代表的な例には、博多、堺、新潟などがあります。
もしマインクラフトで湊町を再現する場合、海岸線に沿って平行な道をいくつか作り、それに直交する道を配置して町屋を建てるのが基本です。また、尾道や長崎のように海岸線と山が近い場合は、山の斜面にも建物を建てることで、湊町特有の美しい景観を再現することができます。
在郷町
在郷町(ざいごうまち)
在郷町は、中世から農民や商工民が集まってできた町です。
鎌倉時代ごろまでは、日本で都市と呼べるのは京都、鎌倉、博多くらいしかなく、農民たちは平野や盆地に散らばって屋敷を構えて暮らしていました。しかし、農地がこれ以上広げられなくなり、屋敷地も農地にしようとしたため、住む場所を変え、農地にならない土地に集まって暮らすようになりました。これが在郷町の始まりです。
在郷町から発展した町の例として、青梅があります(青梅は後に宿場町としても機能しました)。
マインクラフトで在郷町を再現する場合、網状に道を配置し、その道に面して住宅を建てる形になります。網状の道を作るため、少し難易度が高いかもしれません。
門前町
門前町(もんぜんまち)
「鳥居前町」という言葉もありますが、ここでは「門前町」として説明します。
門前町とは、神社や寺といった信仰の場を中心に、その参道沿いに発展した街のことを指します。代表例には長野市があり、他には熱田(三重)、三島(静岡)、琴平(香川)、太宰府(福岡)などがあります。
もしマインクラフトで門前町を作る場合、まず中心に寺社を置き、そこから参道を真っすぐ引いて、その沿道に建物を並べる形式をとると良いでしょう。この都市形態は比較的シンプルなので、計画しやすいのが特徴です。
寺内町
寺内町(じないまち)
寺内町は、中世の終わりごろに仏教関係者たちが集まって暮らし、自ら街を治めていた自治都市です。外敵から身を守るために、周囲に堀や土塁を設け、街路はT字路や屈折した形にして防御を強化していました。
代表的な例としては、富田林や今井、伏木があります。この都市形態は近畿、北陸、愛知地方に多く見られますが、現代では消滅したものも多く、日本の都市形態の中ではあまり知られていません。
実は、大阪にも寺内町が存在していて、現在の大阪城がある場所にはかつて「石山本願寺」という寺を中心とした寺内町がありました。
もしマインクラフトで寺内町を再現するなら、長方形(約500×250ブロック)の外周に堀や土塁を配置し、その中に屈折した街路を作ると良いでしょう。他の街に比べて「秘密基地」っぽい雰囲気が楽しめます。
宿場町
宿場町(しゅくばまち)
宿場町は、主要な街道沿いに造られた、宿泊機能を持つ町です。町屋が道沿いに並び、旅人や荷物の中継地として発展しました。
古代日本では、律令制のもとで整備された官道に「駅」と呼ばれる中継施設が一定間隔で設置されていました。その後、律令制が衰退すると、官道沿いに自然に町が形成され、「駅」とまとめて「宿場」と呼ばれるようになりました。
江戸時代になると、幕府によって五街道が整備され、宿場町も再編されました。新宿、千住、浦和などは、宿場町から発展した有名な例です。
マインクラフトで宿場町を再現する場合、幅5~10ブロックの道を中心に設け、その道沿いに間口10ブロック、奥行40ブロックほどの建物を並べると、雰囲気を出しやすいでしょう。
城下町
城下町(じょうかまち)
城下町は、日本独自の都市形態で、簡単に言うと、町の中心にお城があり、その周りに町が広がっているという形です。
城下町は、城からの距離に応じてエリアが分けられ、城に近い順に重臣の屋敷、中級家臣の屋敷、町人地、足軽町、寺町などが配置されていました。つまり、身分によって町が区分(ゾーニング)されているのです。
江戸時代の開府前後には、日本各地に約300の城下町が作られました。これは世界的にも珍しい都市形成の仕組みでした。
有名な城下町には江戸(東京)、大坂(大阪)、仙台、金沢などがあります。
マインクラフトで城下町を作る場合、中央にお城を置き、その周囲に濠(堀)を作り、濠の外側に長方形の街区を並べて町屋を作る形になります。
ただし、城下町は非常に多様な形態があるため、計画する際には歴史的な知識を取り入れないと、リアリティが出ませんので注意が必要です。
開拓都市
開拓都市(かいたくとし)
開拓都市は、明治時代に北海道で作られた都市の形で、碁盤目の街路と正方形の街区を基本にしています。
この都市形態は、古代都城に似ていますが、目的と計画の考え方が異なります。開拓都市は、当時未開の地だった北海道に開拓の拠点を作るために設計されました。その設計思想には、日本の城下町のゾーニングと、アメリカのグリッドパターン(碁盤目状の街路)を取り入れています。
代表的な都市は札幌で、ほかにも旭川や帯広など、北海道各地に開拓都市があります。
マインクラフトで再現する場合、一辺100ブロックほどの正方形の街区を並べ、官庁街、商業地、住宅地を区分けして建物を配置する形になります。
田園都市
田園都市(でんえんとし)
田園都市は、19世紀末のロンドンでの環境悪化と人口過密を背景に、ハワードという人が考えた理想的な都市モデルです。彼は都市と農村の良い点を組み合わせ、持続可能な社会を目指しました。
田園都市は、母都市(約6万人)と衛星都市(約3万人)から成り、40kmの距離を鉄道で結びます。
都市の構造は、中心から外側に向かって同心円状と放射状の街路を組み合わせ、順番に広場、公共施設、公園、商店街、住区、大きな緑地帯(学校など)、工場、外周鉄道、田園が配置されています。
この田園都市モデルは、簡単な図で示され、世界中に広まりました。日本には大正時代に紹介され、内務官僚が翻訳して本にしましたが、政府と民間では考え方に違いがあり、実際に作られた田園都市は元のモデルと少し異なります。
この考え方は、第二次世界大戦後の郊外都市開発にも影響を与えました。日本では、田園調布が代表的な例です。その他にも、千里山や鳴海などがあります。
マインクラフトで作る際は、同心円や放射状の街路を作る必要があり、少し難しいかもしれません。
ニュータウン
ニュータウン
ニュータウンは、高度経済成長期における住宅不足を解消するために作られた新しい都市形態です。
ニュータウンの定義は厳密にはありませんが、住宅街区整備事業や土地区画整理事業、新住宅市街地開発事業などを通じて作られた地域を指します。
日本のニュータウンは主に郊外に作られ、都心とは鉄道で結びつけて、住む場所と仕事の場所を分ける「職住分離」の考え方が基本です。
戦後の人口増加に対応するため、ニュータウンは田園都市の考え方や「近隣住区論」、アメリカの「ラドバーン・システム」といった都市計画思想が取り入れられました。
例えば、歩行者専用の道路を作り、車道には袋小路を設けて車の通行範囲を制限するなど、歩行者と車の分離が行われました。また、小学校の生徒数に合わせて、住むエリアを分ける考え方も広く使われました。
代表的なニュータウンには多摩ニュータウンがあり、千葉ニュータウンや港北ニュータウンなどもあります。
マインクラフトで作る場合、駅を中心にして商業施設や公共施設、中規模のマンションを配置します。駅周辺には広い道路を設け、その外側に住宅街を作る形になります。住宅街の一街区サイズはだいたい80×40ブロック程度です。
まとめ
マイクラで街づくりをする際に確認しておきたい都市類型について解説しました。
今回の内容を簡潔にまとめると以下のようになります。
- 歴史的背景に基づく都市形態:日本の都市は、宗教施設や商業の中心として発展した「門前町」や「湊町」、また、城を中心にした「城下町」など、社会的・宗教的背景に応じて設計された。これらの都市形態は、当時の社会構造や経済活動に影響を受けた。
- 計画的都市と自然発生的な集落:計画都市(例:古代都城や開拓都市)では、中央の施設や街路が計画的に配置され、職住分離などが考慮されていた。一方で、「在郷町」のような自然発生的に形成された集落は、農業と商業が融合し、地域社会の発展に寄与した。
- 近代化と社会的機能の変化:近代的な都市計画が導入され、特に「ニュータウン」や「田園都市」では、住宅供給と都市機能の合理化が進んだ。これらは郊外の新しい住居地として、近代的な交通網とともに計画され、職住分離や環境面での持続可能性が重視された。
それぞれの都市形態は、日本の歴史や社会的背景と密接に関係しています。都市計画を行う際は、これらの形態を理解し、自分の求める都市のスタイルに合わせた設計が重要です。
マイクラで街づくりをする際にはぜひ都市形態を意識して創ってみてください。
以上、最後までお読みいただきありがとうございました。
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